現世から来世の希望へ

人をして非俗的ならしめ、無欲ならしめ、非現実的ならしむるものにして、鮮明にして確実なる来世の希望のごときはないのである。この希望を欠いて、この罪の世にありて信者の生涯を送ることはできない、この世の不義はあまりに多くある。暗黒の勢力はあまりに強くある。この世のみに意を留めて、不信は当然の結果といわざるをえない。されども目をあげて上を仰がんか、聖書に示されたる神の約束を信ぜんか、完成さるべき造化と拯救(たすけとすくい)とを望まんか、ここに懐疑の雲霧は晴れて、正義敢行の勇気は勃然(ぼつぜん)としてわきでるのである。キリスト再臨の希望は信者の歌の源である、愛の動機である、善行の奨励である。これありて、われらはこの涙の谷にありて、歌いつつわが父の家へと進み行くことができるのである。(内村鑑三「研究第二の十年)
内村先生が百年以上も前に言われたことが、現在の世界の姿、情況そのものを示しています。人の心は現世をいかにいきるかが第一で、来世など二の次、三の次である。

“現世から来世の希望へ” への1件の返信

河口 秀 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です