神の時

人類の歴史には多くの「特別な出来事」があります。古くはノア洪水、最近では2011年の東日本大地震と津波のような自然大災害、人災では数え切れなほどの戦争など。そして、今は全世界を襲い混乱に陥れたコロナウイルスなど。しかし、これらの中で何ものも比肩できないものがあります。その第1の大いなるものは、今より約2000年前の事です。それをあかす言葉は次の【時は満ちた】 です。即ち下記の聖句です。
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。マルコ1章15節
The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand. Repent, and believe in the gospel.” 【NKJV】
The right time has come,” he said, “and the Kingdom of God is near! Turn away from your sins and believe the Good News!” 【TEV】
マルコによる福音書によると、主キリストが活動を開始された時の第一声は、
【時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」】です。
この時は満ちたの「」という単語は特別な意味があるのです。ちょうどよい時最もふさわしい時一番良い時などを表す単語なのです。
キリストがお生まれになった時、即ち今から約2000年前のエジプト、メソポタミア、ローマ、ギリシアなどを含む、地中海世界全域は歴史始まって以来初めて特別な時が生まれました。
1.長い混乱の時代が終わって、いわゆるパックス・ローマナ(ローマ式平和)が生まれました。それは本当に素晴らしいものでした。ことわざに「すべての道はローマに通じる」とあるように、平和のおかげで旅行が自由にできるようになったのです。
2.次の大切な事は、地中海世界全域が一つの言語、即ち共通語の時代でした。ローマ帝国が支配していたのにもかかわらず、ラテン語ではなくギリシア語がローマ帝国全域で共通語として普及いしていたのです。これについて詳しく述べると長くなるので止めますが、次の一事でも明らかです。
新約聖書は、ユダヤ人であるペテロ、ヨハネ、パウロなどによって書かれました。彼らの母語はイスラエル語です。それなのに外国語であるギリシア語で書いています。ペテロやヨハネはガリラヤ湖の漁師でした。特別な人たちではありませんでした。また使徒パウロは現在のトルコ、マケドニア、ギリシアなどあらゆる所でギリシア語で福音を伝えることができたのです。
このように主キリストが生まれられて、福音を伝え、十字架に架かられ、墓に葬られて三日目に復活されて、神の人類救済の計画が成就するのに最善の時は、アブラハムから今日まで約4000年の歴史でこの時ほどふさわしい時は他にはないのです。
このようにして始まったキリスト教は約300年間ローマ帝国に容認されませんでしたが、紀元313年ミラノ勅令で公認され、更に392年に帝国の国教となりました。この時以後キリスト教会はますます発展します。そして立派な大伽藍は次々に建立されましたが、同時に原始教会の純粋な使徒たちの信仰は薄められていきます。そして教会が中世の世俗社会をも支配する長い時代が続きます。神に似せて創造された「人」はこのようなことにいつまでも耐えることはできません。新しい大変革の時が来なければなりません。

次の大変革な時
15世紀になると、世界(特に今日のヨーロッパ世界)に科学、文化、経済などあらゆる面に大きなエネルギーのうねりが出てきたのです。新しい世界の時代です。
a.科学
コペルニクス(1473)による地動説
コロンブス(1492) 新大陸発見
マゼラン(1519∼22)世界周航
b. ルネッサンス
ミケランジュロ(1475年生)
ラファエル (1483年生)
c. 人文主義の時代(ヒュウマニズム)
エラスムス(1466年生)
d. 宗教改革の時代
ウィクリフ(1384年生)
フス   (1415年生)
サボナローナ(1498年生)
そしてついに、新しい変革、すなわち科学、文化、経済などなどの大発展の最後に、なくてならない宗教改革の炎となるルター(1483~1546)が登場しました。こうしてプロテスタント教会が生まれました。このプロタンテズムによって、その後の世界は大きな変化・進展をします。しかし、これもカトリック教会がそうであったように、その時から約500年を経た20世紀になると、カトリック教会と同じ轍を踏み、その結果が75年前に世界大戦が終わって、5千万人~8千万人とも言われる犠牲者を出したのにもかかわらず、大国だけでなく多くの国々がいまなお新兵器の開発にしのぎをけずっています。そして現在コロナウイルスによって全世界は混乱におちいってしまいました。ところがここではっきりしたことが分かりました。それは、

さらなる大変革な時
が今到来したのであるということです。15世紀に、社会のあらゆる分野(政治、経済、科学、文化など)特にグーテンベルクが印刷機を発明して、1455年ごろ聖書を発行したことが宗教改革に大きな影響を与えたと言われます。アブラハムから約2000年の歴史は、主キリストが到来するまでの準備期間です。すでに記したように、この地上にキリストが誕生する一番良い時が準備された時が整ったのでした。それでキリストは誕生され、神は人類救済計画を成就されたのでした。主キリストが十字架上で発せられた最期の言葉の一つは、
すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」(テテレスタイ)    と言われ、 首をたれて息をひきとられた。(ヨハ19:30)
このすべてが終ったは、神が長きにわたって進められてきたご計画がついに成就したという意味です。そして、この時からさらに2000年が過ぎ、その間にキリスト教は全世界に広がり、現在世界人口の33%即ち3人に一人がキリスト教徒とのことです。
第二次世界大戦が終わるまでは、世界はヨーロッパのキリスト教文明の下で発展してきました。政治、経済、文化、スポーツ、宗教など。そしてアフリカ、アジア、そなたの地域がヨーロッパ諸国の植民地とされ、ヨーロッパ文明諸国の繁栄のために搾取されてきたとさえいうことができます。しかし、その大戦が終結すると、植民地は続々と独立しました(現在独立国家は197)。
世界大戦後、東西冷戦が長く続きました。多くの混乱が世界の各地で次々に起きましたが、日本は新憲法の下で戦争を放棄したおかげで平和が続き、世界の奇跡とも言えるジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われ、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国になりました。しかし、中国の台頭が激しく、ついに日本を越えて世界第二の経済大国となりました。歴史は西漸すると言われますが、これまで世界第一はアメリカ(現在も)でしたが、そう遠くない日に、世界の中心は中国に移るように思います。ところが今年その中国から、今世界を大混乱に陥れたパンデミックコロナが起きてあっという間に世界に広がりました。その結果、急にいわゆるリモート・テレワークなるものが起きました。このような事が可能となったのは、偶然ではありません。世界大戦後には政治の世界で大変革が起きたように、科学も驚くべき進歩発展をしました。特にコンピュータの発明がもたらした影響ははかり知りません。十数年前のそれは大型で、更に一般人には購入もできず、容易に使えませんでした。それがアッという間に小型化され、誰でも購入し、使用出来るまでになったと思ったら、今はスマホの時代となってしまいました。六十年前はアメリカの友人と文通するには、互いに一週間ずつもかかりましたが、今は時間の距離はなくなってしまいました。毎日外国から、メールが来る時代です。これこそ新しい大変化革の時の到来です。今から2000年前のキリスト時代に触れましたが、それは政治、経済、科学、文化のすべてに及んだように、その特徴の一つは、世界の共通語が生まれたことです。十年ほど前、エジプト・イスラエル、トルコ、ギリシアを訪れましたが、どこでも英語を話せれば、コミニュケーションができるのです。日本でもついに小学校から英語が必修となるのです。世界はもはやいかなる国も、〇〇第一などと主張しても生存し得ないのです。
コロナウィルス事件は、多くの厳しい問題を起こました。特に医療、経済など毎日問題になっています。工場、店等々の閉鎖、そして働き場を失ってしまった人たちが大勢います。これら未曾有の大混乱を終息するには、人知の限りを尽くしてとりくまねばなりません。しかし、あえて述べますが、人間の政治、経済、科学などすべての力を結集しても、解決できません。人類に99%力があっても、最も大切な1%が欠けているからです。それは2000年前に、キリストが残された次の言葉です。
主(キリスト)は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。(ルカ 10:41,42 口語訳)
この、一つだけとは、キリストの命の言葉です。そして一人でも多くの人がこの命のパンを食べて生きる時に、99%は初めて100%となります。すなわち本当の神の愛が人の心に溢れて、敵をも愛せる心をキリストから頂けるからです。どうかこの変革が日本から始まりますように!!

今日の聖句

彼らの場合、この世の神(偶像)が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。(コリント第2:4:4~9 【口語訳】)