自己紹介

1929年(昭和4年)3月栃木県河内郡大沢村(現日光市)」で生まれる。県立農学校卒業(17歳)同年日本敗戦。18歳の春上京。アメリカ軍将校宿舎(ホテル)にボーイとして入社。しかし、戦中英語教育を受けられなかったため英語が分からず苦しむ。勤務時間を夜にしてもらって、YMCA英語学校へ入学、2年半学び卒業。この間に初めて「聖書」と「キリスト教」を知った。そして次の聖書の所を読んだ時、私の心に大きな変化が起きた。
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右 に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばた者なら、自分を救うがよい。(ルカによる福音書23章23節~35節)
上記下線のある所。無実のキリストを憎んで十字架につけた人々を憎む事がないばかりか、神が彼等の悪行を許して下さいと祈られたのです。人間がこの地上に誕生して以来、このような祈りをした人は過去には独りもいませんでした。世界大戦後人々の心は本当にすさんでいました。私は19歳で感動のあまり自分の一生をこの事実を伝える為に捧げる決心をしました。

1960年筆者が開始した聖書塾
1960年筆者が開始した聖書塾

開塾当時の筆者

開塾当時の筆者

それから70年が過ぎました。そしてこの思いは少なくなるどころか、90歳になろうとしている今益々強くなっているのです。それでインターネットが普及した今日、ホームページ作成のソフトを買い、がんばって自分のホームページを作ってみました。
私は今も毎日仕事を始める前に、聖書を開いて30分~1時間読まないではいられません。それは私の霊(命)の食物だからです。それでこれによって日々私が受けた感動の聖書の言葉を出来るだけUPデートします

私の生家の近くから、日光連山を望