本書は、新約聖書27巻各書の紹介(筆者の執筆目的、当時の時代背景、その他)を、新約聖書聖書注解全集全12巻より引用してまとめたもの。マタイによる福音書はいつ、どのような時に、何の目的の為に書かれたのか、黙示録はどこで、誰によって何を伝えようとして書かれたのなどを、分かりやすく説明してくれるもの。これらを知れば知るほど、聖書を読むことが楽しくなります。
アウシュビッツ
2020年8月16日
夜、NHKスペシャルで「アウシュビッツで発見、地中に埋められた文書……75年目の告発云々」を見た。私は1997年にイスラエルに行った時エルサレムにある「アウシュビッツ記念館」を訪ねた時に衝撃を受けたが、今回の映像ではさらなる大きな恐ろしさを知った。神を恐れぬ人間の極悪さ、言葉にすることさえできなない罪深さの極限、これ以上の【罪】は無い。私は思う、この時ヨーロッパのキリスト教文明なるものは終わったのであると。それは、紀元前約2000年アブラハムから主キリストまでの古き時代が終わって、更にキリストから次の2000年の20世紀まで、すなわち第二次世界大戦が終わるころまでである。そして21世紀を迎えた時、科学の驚くべき発展によって、世界は今新しい世紀に突入したのである。その事実を明らかにしたのがコロナウイルスである。喫緊の課題はそのワクチンの開発ではあるが、人類が少しでも長く生存しうるために必要なものは、神の言葉、即ちキリストの命のパンである言葉を私たちが食べることである。その時この地上に始めて真の希望が生まれるある。
ユダヤ人をガス室へ運んだ貨車(エルサレムで)
聖書ほど面白い本は無い 2020.5.18
あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。(ヨハネ 5:39)
聖書は一名これをイエス・キリストの伝記と言ってもよいと思います。その旧約聖書なるものは、キリストがこの世に生まれ来るまでの準備を述べたものであって、新約聖書は、キリストのこの世における行動や、あるいは直接にキリストに接した人の言行などを伝えたものであります。もし聖書の中からキリストという人物を取り除いてみるならば、ちょうど弓型の石橋より要石(かなめいし)を引き抜いたようなものでございまして、その全体が意味も、形像(かたち)もないものとなるだろうと思います。聖書の解し難いのは、文字のゆえではなく、また理論のこみ入っているいるわけでもなくて、じつにキリストがその要石である事がわからないからでございます。それゆえに、ひとたびキリストと彼の真意とがわかりさえすれば、聖書ほど面白い書は世の中にまたとなく、またこれほど読みやすい書は無いようになります。(内村鑑三 一日一生 5月18日より)
クリスマス、同信の友に送る
クリスマス、同信の友に送る
クリスマスに際して、死と死者とについて語るは縁起わるしという者があるか。それは不信者のいうことであって信者のいうことではない。クリスマスはことに友人を思うの時である。そしてわれらの友人の内で多くはすでに主にありて眠ったのである。われらは地上に残されてクリスマスを守るも、彼らがわれらと共におらざるがゆえに堪えがたき歎きを感ずるのである。われらと共に楽しきクリスマスを守りし者は、今はその愛する姿をわれらの間に見せないのである。そのことを思うて、楽しきクリスマスは楽しくなくなるのである。そして、かかる時にパウロのことばが一層強くわれらの心に響きわたるのである。
兄弟よ、なんじらの嘆きは他の人(世人)のごとくならざらんことを願う(テサロニケI 4:13以下参照)
と。われらは愛する者に別れて地上に淋しきクリスマスを守るといえども、それはいつまでも続くことではない。「イエスによれるところのすでに眠れる者を、神、彼と共に携え来たりたまわん」と。なんと大なる慰めではないか。われらは再び彼らと共に楽しきクリスマスを守ることができるのであるという。天国におけるクリスマス、それがほんとうのクリスマスである。
神、彼らの涙をことごとくぬぐい取り、また死あらず、かなしみ悩みあることなし(黙示録21・4参照)
という状態の下に守らるるクリスマス、それとくらべて今日のクリスマスは、楽しとも喜ばしとも称するに足りないのである。しかしてまたほんとうのクリスマスのわれらを待つあるを知るがゆえに、仮りのクリスマスが楽しくあるのである。ハバガル夫人の歌にいわく
ああクリスマスよ、なんじ再び来たりしか
なんじのすべての喜びと、またすべての悲しみをもって
と。そしてそのすべての悲しみを打ち消すものはテサロニヶ前書におけるパウロの慰めのことばである。げに待たるるは逝(さ)りにし愛する者との再会の日である。(内村鑑三、新約聖書注解全集13 頁225ff参照)
今日の聖句
In the LASTDAYS
Remember that there will be difficult times in the last days. People will be selfish, greedy, boastful, and conceited; they will be insulting, disobedient to their parents, ungrateful, and irreligious; they will be unkind, merciless, slanderers, violent, and fierce; they will hate the good; they will be treacherous, reckless, and swollen with pride; they will love pleasure rather than God; they will hold to the outward form of our religion, but reject its real power. Keep away from such people. (TEV 2Ti 3:1-5)
終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。
そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。こういう人々を避けなさい。(新共同訳二テモ3:1-5)
あなたの若いき日に
あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、(伝道の書、または「コヘレトの言葉」12:1)
So remember your Creator while you are still young, before those dismal days and years come when you will say, “I don’t enjoy life.”Ecc12:1
台風19号が与えた苦しみ
テレビをつけると毎日、毎日台風19号が与えたニュースが報道されています。その災害の大きさに驚きますが、被災された方々の気持を思うと・・・・・本当に、どのように同情してよいのかわかりません。
今から数千年も前に、ノアの大洪水がありました。洪水が終わった後、神はノアに約束されました。
二度と洪水を起こさない
「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」(創9:9-11)
私はこの聖句を思いながら、神よ、なぜなのですか、と心に問いかけるのです。神の御心は人の思いとは異なるのです。
I would never be able to tell all you have done.
You bless all of those
Who trust you, Lord,
and refuse to worship idols
or follow false gods.
You, Lord God, have done
Many wonderful things,
and you have planned
marvelous things for us.
No one is like you!
I would never be able to tell
all you have done. (Psalms 40:4,5)
(CEV Children’s Illustrated Edition)
ガリラヤ湖の日の出、マタイ4:15,16参照
「ゼブルンの地、ナフタリの地、海に沿う地方、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤ、
暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。(マタイ4:15、16)or (イザヤ書8:23、9:1)
朝早くゲネサレ(ギノサル)湖岸に行ったとき、ガリラヤ湖の東側山脈が白み始めました、間もなく美しい朝日の姿を現してくれました。その時、私の頭に浮かんだのはイザヤ書の言葉でした。
数ヶ月の後で
この夏は老人には厳しい暑さでした。今になってやっとホームページに触ってみる気になりました。今日朝の聖句次のものでした。
わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。(ピリピ3:18~21)
9月21日の朝
夫あり、妻あり、しかしてその間にひとりの子あり、秋の宵静かなる所、彼ら3人、灯火(ともしび)を囲んでこうべを垂れて神に祈る。これ幸福なる家庭なり。その時、主は彼らの中に現れて言いたもう。「二人三人、わが名によりて集まれる所には、われも必ずその中にあるべし」と。神聖なにものかこれに若(し)かん。これありて、王侯の宮殿もうらやむ足らざるなり。(続1日一生より)