人の思いを遥かに超えた十字架

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。(ガラテヤ3:13)
死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである (申命記21:23)
2000年前、人々は一斉に叫んだのです。
ローマ総督ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。(マタイ27:22)
罪のないキリストが私たちのために身代わりとなって、神に呪われて十字架に架けられて犠牲の死を遂げられたと言うのです。何故このようなことを神は許したもうたのでしょう。それは、使徒ヨハネが記している通りです。
神は、その独り子をお与えになった(ここの与えるという語は=人々がキリストを辱め、なぶり殺しをする事を許された意味)ほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16)
今朝マタイによる福音書27章を読んで、私は頬を涙で濡らすことしかできません。

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