新しいお知らせ

このホームページのブログを始めて、二年程のあいだに3回ぐらいしか投稿していません。それは私にはそれをやる時間が無かったからです。コロナ騒ぎになってから、私は2年余り下記の手紙のコピーにありますように、ただ一つのことを、日曜・土曜休みなく続けてきたのです。今、それがいち段落したので、再会しました。以下のコピーした友人達へのお知らせを読んでいただけるならば、お分かり出来るでしょう。

長いコロナとの戦い、そしてウクライナで起きている悲劇が容易に収まらない中、季節は新緑を迎える時となりました。
 すっかりご無沙汰しております。お変わりなきようにと念じます。私はお陰様で今日まで変わりなく過ごして参りました。ご無沙汰しました理由は、実はこの六年間、ひたすら恩師山本泰次郎先生の聖書注解書「マタイによる福音書」「ヨハネによる福音書」を「国民の聖書」として編集してきたのです。印刷本ですのでこれをスキャンしてワードに変換してデジタル化し、更にそれをアドビというソフトで編集します。このために私は他のことは犠牲にするほかありませんでした。ですからパソコンを開いてもフェスブックなどもほとんど見ることもせず、失礼してきました。自分の年齢(九三歳)を考えると時間に余裕がなくなってきたからです。そしてそれらのデジタル化したものをデンシブックにすることを思い立ち二年半になります。友人に助けられてやっと「マタイによる福音書」を上、中、下巻の三冊にして全世界の人が読めるようになりました。
 山本泰次郎先生のこれらの著書は稀有な書で、先生が若き日から祈り、切望されてきた「国民の聖書」即ち「聖書を国民の書に」「国民を聖書の民」の思いが込めれています。ですから一人でも多くの方々にひも解いていただきたいのです。これは難しい書ではなく、先生の日々の実体験から生まれたものです。この世に命を与えられた人生をいかにして生きるか。その本質を示してくれます。これは紙の本ではなく、タブレットで読めます。文字も大きくできるのでいいです。印刷したQRコードを開けばすぐに先生の本が見られます。お知らせまでに申し上げます。(一冊の値段は五百円です)
   二〇二二年四月十日               福 田 秀 雄

今日の聖句から

今日の聖句から2021・12・14
箴言 6:16~19
主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。
驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手
 悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
 欺いて発言する者、うそをつく証人兄弟の間にいさかいを起こさせる者
Pro 6:16 -19
There are seven things that the Lord hates and cannot tolerate:
A proud look, a lying tongue, hands that kill innocent people,
 a mind that thinks up wicked plans, feet that hurry off to do evil,
 a witness who tells one lie after another, and someone who stirs up trouble   among friends.

ブログの再会

ブログを再開します
昨年11月にホームページのブログと心のレストランを一時中断することをお知らせしました。理由の第一は事務所の引越が必要となったからでした。しかし、その後も土地の売却が進まず、年末までは一応移らずにすむようになったのです。
次に、コロナのこともあって日曜日の集まりもできなくなり、また集会室も引越できるように片付けてしまったので、友人達にも来ていただくことができなくなりました。それでずっと「国民の聖書」を編集してきたこともあり、事務所に通い続け、独りこもって、やっと「マタイによる福音書」上・中・下三分冊の編集が終わりました。また同時に私の新約聖書注解全集12冊と「聖書の歴史・地理」「キリスト教の歴史」「新約聖書ガイドブック」15冊を、再編集して電子ブックにする準備もできました。これらは本当に厳しい作業でした。なぜならウインドーズ10になったため、これまでXPで編集してきたものが、すべてサポートされず、特に文章物に厳しいのです。それで新しいソフトを購入してやるほかありませんでした。しかし、これも使用法が大分変わり、特にこれまで使用してきたフォント(文字)はほとんど使用できなくなっていました。それで文字をすべて変換また地図や図版・写真はすべて再入力となりました。コロナで人々との接触もできなくなったため、私は独り事務所に通い続け、ホームページやFBなどもすべて中断して、この作業に集中したのです。今それを終わって、それらすべてを電子ブックにして世におくります。これは印刷も製本も必要ないので助かります。また、これらの電子ブックは印刷本の定価(3000円、2000円、1000円)すべてワンコイン(500円)で提供する予定です。
また、ここで一書をお勧めしたく思います。今から19年前に発行した「聖書抄訳」(税込1430 円)は、私が日々の朗読をする時に、心に深く入った聖句を毎日ノートに書き出していたものを、ギリシア語から翻訳したものです。聖書も著作権があるので自由に使えませんので、自分で翻訳しました。実はこれは私の信仰の告白書です。私の信仰の土台は何であるかを表しています。私の著作物20冊余すべては、ここに表われている信仰の土台によって著わされていることがわかると思います。本書はデジタル化されていませんので、電子ブックにはなりません。しかし、この印刷本(税込1430 円)を送料込み(1,000円)でお分けします。どうぞご利用ください。各書籍の内容紹介及び送金方法などは次のURLにアクセスして頂ければ分かります。 https://seisyonotomo.com/

お知らせ

ブログ・心のレストランを見てくださる皆さんへ:

私事、この度10年前から友人のところに、素晴らしい仕事場を借りて、教会引退後聖書注解書の編集、また古い主に在る友たちと主日礼拝を守ってきました。今回友人が召されて子供さん達(4人)が相続のため敷地を売却することとなり、引越することになりました。現在編集中の聖書注解「国民の聖書」、予定では後3年くらいかかります。これから引っ越し先を探します。それでFB,HPへの時間にゆとりができるまで投稿することが難しくなりました。お知らせまでに申し上げます。福田

キリストの涙

聖書の記録によるとキリストは2度泣かれた。なぜ泣かれたのかについては、ブログの終わりころにわかるであろう。ではキリストがおよそ30歳のころ、故郷ナザレの村を後にされたころから述べていく。
夫に先立たれ、後に5人の男子と2人(?)の女子が残された妻。その長男は母を助け、村でも特別に優れた大工であった。美しい緑深き山里、裏山に登れば、はるか西の彼方には夕日に照らされた輝く海の波が美しい。
時は今からおよそ2千年前、イエスはは30歳になると、家も仕事もすべてを捨てて、美しい湖岸の草原で彼の人生の第1声を人々に宣言した。
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
この言葉が、イエスのその後3年間の始めである。
故郷ナザレを後にしたイエスは、二大文明を結ぶ海の道(via maris)に沿い、ガリラヤ地方で最も豊かな、そして人口も多い町カペナウム(カファルナウム)へ向かった。ここは特別に重要な所であったからである。なぜならここは古代二大文明(メソポタミアとエジプト)の接点・支点となった所であったからである。
ガリラヤ地方はパレスチナ地方における交通の要所である。エジプトからダマスコを経てメソポタミアへ至る大街道、エルサレム、アンテオケへ通じる街道、ツロ、トレマイ(アッコ)に出る地中海への街道というように、東西南北に走る世界の交通路はすべてガリラヤを横切り、特にガリラヤ湖周辺の北部地区を最も重要な地域となしている。更にガリラヤは、レバノン山(レバノン山脈)とヘルモン山(アンチレバノン山脈)に近いので雨量も多く、穀物、果樹が豊かに実る。オリーブ油、ぶどう酒、小麦はガリラヤの重要な輸出品であった。それに加えて豊かな森と、ガリラヤ湖に溢れる魚群、これらのものが揃ってこの地方は、必然的に活発、能動的ならざるを得ないのである。特にカペナウム付近は人口も多く、種々の企業が盛んであった。カペナウムはキリスト時代のガリラヤにおける最大の都市であった。

紀元二六、七年ごろ(キリストの誕生はBC5か6年)主イエスは静かな村ナザレを後にして、ガリラヤにおいて最も活発なカペナウムへと行かれる。それは、片田舎ではなく世界の大路において、ヨナよりもソロモンよりも大いなる者(マタイ12・41、42)が今現われたことを知らせるためであった。
ガリラヤ湖畔に出ると、そこで二人の漁師が網を打っているのに出会った。キリストは言われた「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」。キリストの最初の弟子となったペテロとアンデレである。また少し進んで行くと二人の兄弟ヤコブとヨハネが船の中で網の手入れをしていた。キリストはこの二人をも呼ばれると、ペテロたちと同じようにキリストに従ったのである。この4人が最初の弟子で、後にペテロとヨハネは大きな働きをする。(つづく)

 

 

 

 

神に召され、神を愛する者

明日はアメリカの大統領の選挙です。二人の候補者が大接戦をしています。この結果がアメリカだけでなく、世界の今後に大変な混乱をもたらすであろうと報道されています。しかし、神は人の思いとは異なり、人間の計画とは異なって、神御自身の計画があって、最終的には下記の聖句のようにしてくださるのです。即ち、キリストによって召され、神を愛する者たちに対してです。しかし、神を、キリストを口先だけで信じると言っても自分のことだけを思っている者には下記の聖句は決して当てはまりまん。                         キリストによって召され、キリストを愛してやまない人にとっとは  神を愛する者たち、すなわち、はっきりとした目的をもって神が召してくださった者たちに対して、神は(彼らと)共に働かれ、すべての事を善としてくださることを私たちは知っています。(ローマ8:28の私訳)「神を愛する者たち」とは、神がある一つのはっきりとした目的に従って召し出された者たちの事です。

現代の世界の姿

このことは知っておかねばならない。(この世の)終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者金を愛する者大言壮語する者高慢な者神をそしる者親に逆らう者恩を知らぬ者神聖を汚す者、 無情な者融和しない者そしる者無節制な者粗暴な者善を好まない者、 裏切り者乱暴者高言をする者神よりも快楽を愛する者、 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。(テモテ第II5章1節~5節) 今のアメリカの選挙を見ると、不安を感じます。

 

 

 

10月25日、主の日

God wants everyone to be saved and to know the whole truth,

which is there is only one God, and Christ Jesus is the only one,

who can bring us to God.

Jesus was truly human and he gave himself to rescue all of us.

God showed us this at the right time.(1 Timothy 2:4-6 CEV)

以下は、上文テモテ第Ⅰの手紙2章4節-6節の私訳)

神はすべての人が救われることと、本当の真理とを知ることを 願っておられる。その真理とは、

真の神はただお一人であって、それはキリストただ一人です。そして、キリストのみが私たちを神のみもとまで導いてくれることができます。

イエスは私たちと全く同じ人間になられ、そして私たちすべての者を救ってくださるために十字架上に犠牲となってくださったのです。

神はこの事実をもっとも良い時に示してくださったのです。

神の時

人類の歴史には多くの「特別な出来事」があります。古くはノア洪水、最近では2011年の東日本大地震と津波のような自然大災害、人災では数え切れなほどの戦争など。そして、今は全世界を襲い混乱に陥れたコロナウイルスなど。しかし、これらの中で何ものも比肩できないものがあります。その第1の大いなるものは、今より約2000年前の事です。それをあかす言葉は次の【時は満ちた】 です。即ち下記の聖句です。
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。マルコ1章15節
The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand. Repent, and believe in the gospel.” 【NKJV】
The right time has come,” he said, “and the Kingdom of God is near! Turn away from your sins and believe the Good News!” 【TEV】
マルコによる福音書によると、主キリストが活動を開始された時の第一声は、
【時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」】です。
この時は満ちたの「」という単語は特別な意味があるのです。ちょうどよい時最もふさわしい時一番良い時などを表す単語なのです。
キリストがお生まれになった時、即ち今から約2000年前のエジプト、メソポタミア、ローマ、ギリシアなどを含む、地中海世界全域は歴史始まって以来初めて特別な時が生まれました。
1.長い混乱の時代が終わって、いわゆるパックス・ローマナ(ローマ式平和)が生まれました。それは本当に素晴らしいものでした。ことわざに「すべての道はローマに通じる」とあるように、平和のおかげで旅行が自由にできるようになったのです。
2.次の大切な事は、地中海世界全域が一つの言語、即ち共通語の時代でした。ローマ帝国が支配していたのにもかかわらず、ラテン語ではなくギリシア語がローマ帝国全域で共通語として普及いしていたのです。これについて詳しく述べると長くなるので止めますが、次の一事でも明らかです。
新約聖書は、ユダヤ人であるペテロ、ヨハネ、パウロなどによって書かれました。彼らの母語はイスラエル語です。それなのに外国語であるギリシア語で書いています。ペテロやヨハネはガリラヤ湖の漁師でした。特別な人たちではありませんでした。また使徒パウロは現在のトルコ、マケドニア、ギリシアなどあらゆる所でギリシア語で福音を伝えることができたのです。
このように主キリストが生まれられて、福音を伝え、十字架に架かられ、墓に葬られて三日目に復活されて、神の人類救済の計画が成就するのに最善の時は、アブラハムから今日まで約4000年の歴史でこの時ほどふさわしい時は他にはないのです。
このようにして始まったキリスト教は約300年間ローマ帝国に容認されませんでしたが、紀元313年ミラノ勅令で公認され、更に392年に帝国の国教となりました。この時以後キリスト教会はますます発展します。そして立派な大伽藍は次々に建立されましたが、同時に原始教会の純粋な使徒たちの信仰は薄められていきます。そして教会が中世の世俗社会をも支配する長い時代が続きます。神に似せて創造された「人」はこのようなことにいつまでも耐えることはできません。新しい大変革の時が来なければなりません。

次の大変革な時
15世紀になると、世界(特に今日のヨーロッパ世界)に科学、文化、経済などあらゆる面に大きなエネルギーのうねりが出てきたのです。新しい世界の時代です。
a.科学
コペルニクス(1473)による地動説
コロンブス(1492) 新大陸発見
マゼラン(1519∼22)世界周航
b. ルネッサンス
ミケランジュロ(1475年生)
ラファエル (1483年生)
c. 人文主義の時代(ヒュウマニズム)
エラスムス(1466年生)
d. 宗教改革の時代
ウィクリフ(1384年生)
フス   (1415年生)
サボナローナ(1498年生)
そしてついに、新しい変革、すなわち科学、文化、経済などなどの大発展の最後に、なくてならない宗教改革の炎となるルター(1483~1546)が登場しました。こうしてプロテスタント教会が生まれました。このプロタンテズムによって、その後の世界は大きな変化・進展をします。しかし、これもカトリック教会がそうであったように、その時から約500年を経た20世紀になると、カトリック教会と同じ轍を踏み、その結果が75年前に世界大戦が終わって、5千万人~8千万人とも言われる犠牲者を出したのにもかかわらず、大国だけでなく多くの国々がいまなお新兵器の開発にしのぎをけずっています。そして現在コロナウイルスによって全世界は混乱におちいってしまいました。ところがここではっきりしたことが分かりました。それは、

さらなる大変革な時
が今到来したのであるということです。15世紀に、社会のあらゆる分野(政治、経済、科学、文化など)特にグーテンベルクが印刷機を発明して、1455年ごろ聖書を発行したことが宗教改革に大きな影響を与えたと言われます。アブラハムから約2000年の歴史は、主キリストが到来するまでの準備期間です。すでに記したように、この地上にキリストが誕生する一番良い時が準備された時が整ったのでした。それでキリストは誕生され、神は人類救済計画を成就されたのでした。主キリストが十字架上で発せられた最期の言葉の一つは、
すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」(テテレスタイ)    と言われ、 首をたれて息をひきとられた。(ヨハ19:30)
このすべてが終ったは、神が長きにわたって進められてきたご計画がついに成就したという意味です。そして、この時からさらに2000年が過ぎ、その間にキリスト教は全世界に広がり、現在世界人口の33%即ち3人に一人がキリスト教徒とのことです。
第二次世界大戦が終わるまでは、世界はヨーロッパのキリスト教文明の下で発展してきました。政治、経済、文化、スポーツ、宗教など。そしてアフリカ、アジア、そなたの地域がヨーロッパ諸国の植民地とされ、ヨーロッパ文明諸国の繁栄のために搾取されてきたとさえいうことができます。しかし、その大戦が終結すると、植民地は続々と独立しました(現在独立国家は197)。
世界大戦後、東西冷戦が長く続きました。多くの混乱が世界の各地で次々に起きましたが、日本は新憲法の下で戦争を放棄したおかげで平和が続き、世界の奇跡とも言えるジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われ、アメリカに次ぐ世界第2の経済大国になりました。しかし、中国の台頭が激しく、ついに日本を越えて世界第二の経済大国となりました。歴史は西漸すると言われますが、これまで世界第一はアメリカ(現在も)でしたが、そう遠くない日に、世界の中心は中国に移るように思います。ところが今年その中国から、今世界を大混乱に陥れたパンデミックコロナが起きてあっという間に世界に広がりました。その結果、急にいわゆるリモート・テレワークなるものが起きました。このような事が可能となったのは、偶然ではありません。世界大戦後には政治の世界で大変革が起きたように、科学も驚くべき進歩発展をしました。特にコンピュータの発明がもたらした影響ははかり知りません。十数年前のそれは大型で、更に一般人には購入もできず、容易に使えませんでした。それがアッという間に小型化され、誰でも購入し、使用出来るまでになったと思ったら、今はスマホの時代となってしまいました。六十年前はアメリカの友人と文通するには、互いに一週間ずつもかかりましたが、今は時間の距離はなくなってしまいました。毎日外国から、メールが来る時代です。これこそ新しい大変化革の時の到来です。今から2000年前のキリスト時代に触れましたが、それは政治、経済、科学、文化のすべてに及んだように、その特徴の一つは、世界の共通語が生まれたことです。十年ほど前、エジプト・イスラエル、トルコ、ギリシアを訪れましたが、どこでも英語を話せれば、コミニュケーションができるのです。日本でもついに小学校から英語が必修となるのです。世界はもはやいかなる国も、〇〇第一などと主張しても生存し得ないのです。
コロナウィルス事件は、多くの厳しい問題を起こました。特に医療、経済など毎日問題になっています。工場、店等々の閉鎖、そして働き場を失ってしまった人たちが大勢います。これら未曾有の大混乱を終息するには、人知の限りを尽くしてとりくまねばなりません。しかし、あえて述べますが、人間の政治、経済、科学などすべての力を結集しても、解決できません。人類に99%力があっても、最も大切な1%が欠けているからです。それは2000年前に、キリストが残された次の言葉です。
主(キリスト)は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。(ルカ 10:41,42 口語訳)
この、一つだけとは、キリストの命の言葉です。そして一人でも多くの人がこの命のパンを食べて生きる時に、99%は初めて100%となります。すなわち本当の神の愛が人の心に溢れて、敵をも愛せる心をキリストから頂けるからです。どうかこの変革が日本から始まりますように!!

今日の聖句

彼らの場合、この世の神(偶像)が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。(コリント第2:4:4~9 【口語訳】)