聖書は一名これをイエス・キリストの伝記と言うてもよいと思います。その旧約聖書なるものは、キリストがこの世に生まれ来るまでの準備をのべたものであって、新約聖書は、キリストのこの世における行動や、あるいは直接にキリストに接した人の言行等を伝えたものであります。もし聖書の中からキリストという人物を取り除いて見るならば、ちょうど弓型の石橋より枢石(かなめいし)を引き抜いたようなものでございまして、その全体が意味も形像(かたち)もないものとなるだろうと思います。聖書の解し難いのは、文字のゆえではなく、また理論のこみ入っているわけでもなくて、じつにキリストがその枢石である事がわからないからでございます。それゆえに、ひとたびキリストと彼の真意とがわかりさえすれば、聖書ほど面白い書は世の中にまたとなく、またこれほど読みやすい書はないようになります。「内村鑑三 宗教座談より」
お知ら!グッドニュース!


お知らせ!主に在る兄弟姉妹たちへ! グッドニュースです!
「国民の聖書」マタイによる福音書 上・中・下巻をデンシブックにしました。また、それをペーパーブック(印刷本)でも提供できます。著者は生涯を「聖書を国民の書」に「国民を聖書の民」にとの篤い祈りと希望を抱いて、全生涯を捧げた山本泰次郎先生です。このような書を93歳になった私が心を込めて電子化に専念するのです。「キンドル山本泰次郎先生」でインターネットにアクセツできます。 福田秀雄
神が私に与えてくださった人(パートナー)
神は私が探し求める前に、既に私が伝道者として働くために最善の助け手(パートナー)を選び用意しておいてくださいました。即ち妻です。私が彼女と婚約を交わした後で、彼女は日記に次のように記してありました。
生涯の伴侶は自ら求める者ではなく、主より与えられる者である。この意味で私は福田兄を与えられた事は心から感謝せずにはおられない。
私は神によって選ばれた伝道者の妻とされるべく定められたのであるゆえに、神が生涯導き給うことを信じて疑わない。私はまず聖書をもっと良く理解できるようにとか、もっと人を愛せるようにとか、もっと教義に忠実になれるようにとは祈らない。第一に祈りもとむべきことは私が全く主の者とされん事である。私が全く主に捉えられ、主の意志によって全たき支配のうちに入れられん事である。自分を捧げ切ることが できずに何故伝道者の妻となることができようか。何故人に福音が伝えられ得よう。主よ、願わくば与えられた祈りの数年の間を全き服従を学ぶ時となさせ給え。(彼女の22歳の時の日記より。彼女が81歳で天に召される直前、彼女が私に手渡してくれた5冊の日記帳より)
彼女の信仰は、この記録を残してから、召される日まで、約60年変わることがなかった。本当に全生涯を主キリストに捧げ、そして私を助けてくれたのである!
現世から来世の希望へ
人をして非俗的ならしめ、無欲ならしめ、非現実的ならしむるものにして、鮮明にして確実なる来世の希望のごときはないのである。この希望を欠いて、この罪の世にありて信者の生涯を送ることはできない、この世の不義はあまりに多くある。暗黒の勢力はあまりに強くある。この世のみに意を留めて、不信は当然の結果といわざるをえない。されども目をあげて上を仰がんか、聖書に示されたる神の約束を信ぜんか、完成さるべき造化と拯救(たすけとすくい)とを望まんか、ここに懐疑の雲霧は晴れて、正義敢行の勇気は勃然(ぼつぜん)としてわきでるのである。キリスト再臨の希望は信者の歌の源である、愛の動機である、善行の奨励である。これありて、われらはこの涙の谷にありて、歌いつつわが父の家へと進み行くことができるのである。(内村鑑三「研究第二の十年)
内村先生が百年以上も前に言われたことが、現在の世界の姿、情況そのものを示しています。人の心は現世をいかにいきるかが第一で、来世など二の次、三の次である。
新しいお知らせ
このホームページのブログを始めて、二年程のあいだに3回ぐらいしか投稿していません。それは私にはそれをやる時間が無かったからです。コロナ騒ぎになってから、私は2年余り下記の手紙のコピーにありますように、ただ一つのことを、日曜・土曜休みなく続けてきたのです。今、それがいち段落したので、再会しました。以下のコピーした友人達へのお知らせを読んでいただけるならば、お分かり出来るでしょう。
長いコロナとの戦い、そしてウクライナで起きている悲劇が容易に収まらない中、季節は新緑を迎える時となりました。
すっかりご無沙汰しております。お変わりなきようにと念じます。私はお陰様で今日まで変わりなく過ごして参りました。ご無沙汰しました理由は、実はこの六年間、ひたすら恩師山本泰次郎先生の聖書注解書「マタイによる福音書」「ヨハネによる福音書」を「国民の聖書」として編集してきたのです。印刷本ですのでこれをスキャンしてワードに変換してデジタル化し、更にそれをアドビというソフトで編集します。このために私は他のことは犠牲にするほかありませんでした。ですからパソコンを開いてもフェスブックなどもほとんど見ることもせず、失礼してきました。自分の年齢(九三歳)を考えると時間に余裕がなくなってきたからです。そしてそれらのデジタル化したものをデンシブックにすることを思い立ち二年半になります。友人に助けられてやっと「マタイによる福音書」を上、中、下巻の三冊にして全世界の人が読めるようになりました。
山本泰次郎先生のこれらの著書は稀有な書で、先生が若き日から祈り、切望されてきた「国民の聖書」即ち「聖書を国民の書に」「国民を聖書の民」の思いが込めれています。ですから一人でも多くの方々にひも解いていただきたいのです。これは難しい書ではなく、先生の日々の実体験から生まれたものです。この世に命を与えられた人生をいかにして生きるか。その本質を示してくれます。これは紙の本ではなく、タブレットで読めます。文字も大きくできるのでいいです。印刷したQRコードを開けばすぐに先生の本が見られます。お知らせまでに申し上げます。(一冊の値段は五百円です)
二〇二二年四月十日 福 田 秀 雄
今日の聖句から
今日の聖句から2021・12・14
箴言 6:16~19
主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。
驕り高ぶる目、うそをつく舌、罪もない人の血を流す手
悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
欺いて発言する者、うそをつく証人兄弟の間にいさかいを起こさせる者。
Pro 6:16 -19
There are seven things that the Lord hates and cannot tolerate:
A proud look, a lying tongue, hands that kill innocent people,
a mind that thinks up wicked plans, feet that hurry off to do evil,
a witness who tells one lie after another, and someone who stirs up trouble among friends.
ブログの再会
ブログを再開します
昨年11月にホームページのブログと心のレストランを一時中断することをお知らせしました。理由の第一は事務所の引越が必要となったからでした。しかし、その後も土地の売却が進まず、年末までは一応移らずにすむようになったのです。
次に、コロナのこともあって日曜日の集まりもできなくなり、また集会室も引越できるように片付けてしまったので、友人達にも来ていただくことができなくなりました。それでずっと「国民の聖書」を編集してきたこともあり、事務所に通い続け、独りこもって、やっと「マタイによる福音書」上・中・下三分冊の編集が終わりました。また同時に私の新約聖書注解全集12冊と「聖書の歴史・地理」「キリスト教の歴史」「新約聖書ガイドブック」15冊を、再編集して電子ブックにする準備もできました。これらは本当に厳しい作業でした。なぜならウインドーズ10になったため、これまでXPで編集してきたものが、すべてサポートされず、特に文章物に厳しいのです。それで新しいソフトを購入してやるほかありませんでした。しかし、これも使用法が大分変わり、特にこれまで使用してきたフォント(文字)はほとんど使用できなくなっていました。それで文字をすべて変換また地図や図版・写真はすべて再入力となりました。コロナで人々との接触もできなくなったため、私は独り事務所に通い続け、ホームページやFBなどもすべて中断して、この作業に集中したのです。今それを終わって、それらすべてを電子ブックにして世におくります。これは印刷も製本も必要ないので助かります。また、これらの電子ブックは印刷本の定価(3000円、2000円、1000円)すべてワンコイン(500円)で提供する予定です。
また、ここで一書をお勧めしたく思います。今から19年前に発行した「聖書抄訳」(税込1430 円)は、私が日々の朗読をする時に、心に深く入った聖句を毎日ノートに書き出していたものを、ギリシア語から翻訳したものです。聖書も著作権があるので自由に使えませんので、自分で翻訳しました。実はこれは私の信仰の告白書です。私の信仰の土台は何であるかを表しています。私の著作物20冊余すべては、ここに表われている信仰の土台によって著わされていることがわかると思います。本書はデジタル化されていませんので、電子ブックにはなりません。しかし、この印刷本(税込1430 円)を送料込み(1,000円)でお分けします。どうぞご利用ください。各書籍の内容紹介及び送金方法などは次のURLにアクセスして頂ければ分かります。 https://seisyonotomo.com/
お知らせ
ブログ・心のレストランを見てくださる皆さんへ:
私事、この度10年前から友人のところに、素晴らしい仕事場を借りて、教会引退後聖書注解書の編集、また古い主に在る友たちと主日礼拝を守ってきました。今回友人が召されて子供さん達(4人)が相続のため敷地を売却することとなり、引越することになりました。現在編集中の聖書注解「国民の聖書」、予定では後3年くらいかかります。これから引っ越し先を探します。それでFB,HPへの時間にゆとりができるまで投稿することが難しくなりました。お知らせまでに申し上げます。福田
キリストの涙
聖書の記録によるとキリストは2度泣かれた。なぜ泣かれたのかについては、ブログの終わりころにわかるであろう。ではキリストがおよそ30歳のころ、故郷ナザレの村を後にされたころから述べていく。
夫に先立たれ、後に5人の男子と2人(?)の女子が残された妻。その長男は母を助け、村でも特別に優れた大工であった。美しい緑深き山里、裏山に登れば、はるか西の彼方には夕日に照らされた輝く海の波が美しい。
時は今からおよそ2千年前、イエスはは30歳になると、家も仕事もすべてを捨てて、美しい湖岸の草原で彼の人生の第1声を人々に宣言した。
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」
この言葉が、イエスのその後3年間の始めである。
故郷ナザレを後にしたイエスは、二大文明を結ぶ海の道(via maris)に沿い、ガリラヤ地方で最も豊かな、そして人口も多い町カペナウム(カファルナウム)へ向かった。ここは特別に重要な所であったからである。なぜならここは古代二大文明(メソポタミアとエジプト)の接点・支点となった所であったからである。
ガリラヤ地方はパレスチナ地方における交通の要所である。エジプトからダマスコを経てメソポタミアへ至る大街道、エルサレム、アンテオケへ通じる街道、ツロ、トレマイ(アッコ)に出る地中海への街道というように、東西南北に走る世界の交通路はすべてガリラヤを横切り、特にガリラヤ湖周辺の北部地区を最も重要な地域となしている。更にガリラヤは、レバノン山(レバノン山脈)とヘルモン山(アンチレバノン山脈)に近いので雨量も多く、穀物、果樹が豊かに実る。オリーブ油、ぶどう酒、小麦はガリラヤの重要な輸出品であった。それに加えて豊かな森と、ガリラヤ湖に溢れる魚群、これらのものが揃ってこの地方は、必然的に活発、能動的ならざるを得ないのである。特にカペナウム付近は人口も多く、種々の企業が盛んであった。カペナウムはキリスト時代のガリラヤにおける最大の都市であった。

紀元二六、七年ごろ(キリストの誕生はBC5か6年)主イエスは静かな村ナザレを後にして、ガリラヤにおいて最も活発なカペナウムへと行かれる。それは、片田舎ではなく世界の大路において、ヨナよりもソロモンよりも大いなる者(マタイ12・41、42)が今現われたことを知らせるためであった。
ガリラヤ湖畔に出ると、そこで二人の漁師が網を打っているのに出会った。キリストは言われた「私について来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」。キリストの最初の弟子となったペテロとアンデレである。また少し進んで行くと二人の兄弟ヤコブとヨハネが船の中で網の手入れをしていた。キリストはこの二人をも呼ばれると、ペテロたちと同じようにキリストに従ったのである。この4人が最初の弟子で、後にペテロとヨハネは大きな働きをする。(つづく)


