阿弥陀仏 ― 永遠の生命

 

阿弥陀仏 ― 永遠の生命

阿弥陀仏とはサンスクリット語のアミターュスの音を仮借したものである。その意味は無量寿命、即ち永遠の生命である。南無もサンスクリット語では帰依すると言う意味で、浄土宗徒が唱える念仏「南無阿弥陀仏」とは、「私は〈永遠の生命〉を信じます」との意である。
ヨハネによる福音書を見るとユダヤ人達は永遠の生命を求めて熱心に旧約聖書を読んでいたことが分かる(五・三九)
古代のエジプトの王達が競って大ピラミッドを建てたのも、彼らが永遠の生命を信じ、永遠の住居を求めたためであると言われている。このように人類は今日まで皆永遠の生命を求めてやまないのである。
では一体誰が私達に不老不死なる永遠の生命を与え得るであろうか。仏陀となりし釈迦は確かに聖人であった。しかし彼は死んで葬られたままである。旧約聖書も私達に永遠の生命を与え得ない。その他ありとあらゆる念仏やお題目も永遠の生命を保証し得ないのである。しかし、唯一つ聖書は明言する。

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない」(ヨハネ一一・二五、二六)。
なぜなら、このように言われるキリストは、
真実な神であり、永遠のいのち(ヨハネⅠ五・二○)。
そのものの方でいまし給うからである。私達の宗教も念仏もお題目も一つとして私達に永遠の生命を与え得ない。故に私達が真の不老不死を願うならば、キリストに行くほかはないのである。何故なら、キリストは私達すべての者の罪を負うて下さって十字架に死んで下さり、復活されて人間が最も恐れる死を永遠に滅ぼしてしまわれたからである。私はこの主なるキリストを心から信じる。そして永遠の生命の喜びに与る。

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