わたしのうちにキリストの形成るまで

本文「はしがき」から抜粋

ここに記される事柄は、ある時私の魂の中に、あるカによって蒔きつけられたキリストの霊の生命の種が、どのようにして成長し続けて来たかを綴ったものです。すなわち、キリストの霊の生命によって新しく生まれた、一人のクリスチャンの赤子の記録といえるものです。これも一つの生命であれば、それには成長が伴います。そしてこれが成長するためには保護者がおり、成長に必要な糧が与えられなければなりません。時には病気(霊の)にもかかりますし、色々な誘惑や危険にも陥ります。このような時に、この赤子の親や兄姉たちは霊魂の医師たるキリストのみ許に伴い行き、この子が霊的死に至らないようにしてくれるのです。この世に生を受けたすべての者が一人として、自分自身だけの力によっては決して成長し得ないように、一クリスチャンとしての私も、私の熱心や努力だけなどによって今日あり得たのでは、決してありません。キリストにある私の師、先輩、友人の愛と祈りと導きとによらなければ、現在の私はあり得ません。

私は、自分が第二の誕生を経験する約1年前から、日記をつける習慣を持っていました。しかし、それはある年は1年間ほとんど1日も欠かさず記録したことがあるかと思うと、時には数ヶ月も記していないこともありました。この意味においては、この書が日記による文章とは言えないかも知れません。しかし、過去20数年間に残された日記帳がなければ、この書は決して生まれなかったことでしょう。そして、この記述は、私の19才の時から29才までの日記が中心となっており、最後の数ぺ-ジだけが37才の時のものであります。

【1990年2月12日  福田秀雄】
戻る