神の摂理より見た聖書の歴史・地理

本文「はしがき」から抜粋編集

私は神学校にいる間さえ、本当の意味で聖書を読むことができなかった。しかし、私の敬愛する恩師山本泰次郎先生の著書「ダビデ伝」に接した時、私の聖書に対する目は全く開かれたのである。この「ダビデ伝」の中に、「地誌」という1章がある。この章が私に与えた霊的インスピレーションは実に大きなものであった。この所を読んだ日の夜、私はパレスチナの地形を夢に見、自分が中央山脈上を逍遙していたのを今でも覚えている。私はそれ以来数年の間、この素晴しい喜びを自分一人で独占することなく、すべての主にある兄弟姉妹たちにも頒ちたいと願うようになった。

我々が聖書を読む場合(特に旧約聖書の場合)、その歴史的時代背景、地理的条件等を抜きにしては、それを十分に理解することはほとんど不可能である。そこで、この小著はこの欠如を少しでも補うことができればと願って著わされたものである。しかし、この小著はいわゆる聖書の歴史・地理の研究書として書かれた著述ではない。本書の目的は、その副題にもある通り、神の摂理より見た歴史・地理である。

私が聖書を魂の糧として、日毎に読まないではいられないようにさせていただけたのは、実はこの大切な端緒を前述の「ダビデ伝」より与えられたからである。聖書とはどのような本であるのか、聖書の精神、またその信仰とはいかなるものであるかなどを根本的に教えられたのである。そして、私が願った事は、この小著をひもとく読者各位が、どうか私と同じようなきっかけを与えられ、心から聖書を自分の霊魂の糧として、日毎に食するがごとくに読む者とされるように導かれることである。願わくは、この小著が聖霊の御助けにより読者に対し少しでも聖書に親しみ、聖書を愛読する心を与えられるための端緒となるならば、著者の感謝は溢るるばかりである。

【1974年8月   福田秀雄】

「改訂新版まえがき」から抜粋

今より20年前再販をしたが、それは著者が覚えたてのオフセット印刷で制作したので、まことに読みずらいものを世に送り出してしまい、赤面の至りである。

本書を執筆し始めたのは、今から40年も前である。ほとんど独学で古代中近東の歴史・地理を学んだのであるが、著者にとっては、アブラハム時代からペルシャ時代まで学ぶのが精一杯であった。1994年9月に町田・図師聖書学校を開校し、新しく「聖書の歴史・地理」のクラスを作り、数人の主にある兄姉と共に6年にわたって週1回学んで来た。特に今回は、ペルシャ時代以降の「ヘレニズム時代」と「ロ−マ時代」を中心に学んだ。今回改訂新版に、この2つの時代を加えることができ嬉しく思う。なぜなら、この時代はキリスト教にとって特別な意味があるものであり、これを抜きにしては今日のキリスト教はあり得ないからである。この意味で、本書の「ヘレニズム時代」と「ロ−マ時代」は読者に益するところが大いにあると思う。また、今回地図、図版なども書き替え、加えたもので、これも有益であろう。

今、改訂新版を世に送り出すに当たり、この事を許して下さった主イエス・キリストと父なる御神に、心からの感謝と賛美とを捧げたく思う。

2002年3月30日   福田秀雄】      戻る