私の夢
恩師、故山本泰次郎先生が1934年に「聖書講義」という月刊誌を創刊された時、
その巻頭言「明日の為に」という一文に、次の一節があります。
水の大洋を覆える如く
エホバを知るの知識全地にみち
聖書が国民の書となり
国民が聖書の民となる

大いなる日の大いなる夢のうちに
この小誌を同胞と祖国に贈る

私の夢
私には夢がある。 
  たとえ今、わが民は創造主の御心に背き、偶像を拝み、希望なく、夢がなくとも、
  いつの日にか聖書の民となることを。  
私は、その日を夢見つつ、 
  今日も、明日も、主が許したもう日まで、主の御言葉の種をまき続ける。 
  雨の日にも、嵐の日にも、主が備えたもう畑に出ていく。 
私は主の御言葉が、 
  地の人すべての心の内に、満ち溢れる日を夢見る。
  その日には、憎しみ、戦い、復讐は消え失せ、
   ミサイルを作る代わりにコンバインをつくることを。
その日には、 
  人々がこの世のいずこにおいても、争うことがなくなることを夢見る。
  水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。
                                       (イザヤ11:9)
 
とある預言者の言葉が、私の民の上に実現する日がくるのを夢見つつ、
今日も明日も、世にある限り祈り続ける。
  
 「聖書の友」266号巻頭言より福田秀雄
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